東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)219号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実(特許庁における手続の経緯、本件発明の要旨及び本件審決の理由の要点)が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。
二 そこで、本件審決を取り消すべき事由の有無について判断する。
1 前記認定に係る本件発明の要旨および成立に争いのない甲第二号証(昭五三―五五四五号特許公報・以下「本件公報」という。)によれば、本件発明は、押鍵速度に応じた楽音制御出力を得るための電子楽器の押鍵速度検出回路に関するものであり、従来のタツチレスポンス効果発生装置には、主としてコンデンサと抵抗と組み合わせた充放電機能利用型と磁石とコイルとを組み合わせた誘導起電力利用型とがあつたが、いずれの場合においても、コンデンサ、コイル、可動磁石などの使用素子の機能特性によつてタツチレスポンスの特性が自ずと定まつてしまい、自然楽器の楽音に匹敵するものを得るための楽音制御上満足なものとはいえず、また、比較的大容量のコンデンサやコイルを用いることから集積回路化を困難にしており、更に、前者には、鍵スイツチの接点切換えにおける機械的な応答速度が緩慢なため楽音制御出力の取り出し端ではコンデンサの充電電圧の最大値が得られないので、充電電圧の楽音制御出力としての利用率が悪いという欠点があつたこと(本件公報一欄三五行ないし二欄三二行)から、このような欠点を除去することを目的として、特許請求の範囲記載のとおりの構成からなる「押鍵速度をパルスの計数値としてデイジタル的に検出する電子楽器の押鍵速度検出回路」を提供した(同二欄三三行ないし三七行)ものであることが認められ、また作用効果に関しては「発明の詳細な説明」欄に次のような記載のあることが認められる。すなわち、「この発明によれば、<1>集積化が可能な簡単な構成で精度のよい押鍵速度検出回路が得られる。また<2>この押鍵速度検出回路を利用し押鍵速度に応じたレベル信号を自由にうることができ、したがつて、このような発生レベル信号を楽音に対する制御信号として用いると、より自然な感じの演奏性のよい楽音がえられ、従来技術ではえられなかつた好ましい複雑な効果を発音に際し、付与することができる。さらに、<3>記憶波形のパターンを適宜設定することによつて出力電圧レベルをそのまま維持して利用することが可能で、電圧の利用率もよく、一方、きわめて遅い押鍵速度に対してもある所定の出力レベル信号をうるようにすることもできる。さらに、<4>クロツクパルス発生器のクロツクパルス周波数は外部から可変できるように構成できるから、電子楽器の演奏中でも押鍵速度に対する出力信号の振幅の関係を可変できる。<5>なお、この発明による楽音制御信号発生装置には、大容量のコンデンサや、抵抗値の大きい抵抗、ならびにコイルなどの構成部品を必要とせず、集積回路化することが可能であるので、装置全体を小型化できるなど、その奏する効果がきわめて大なるものである。」(同一一欄一六行ないし一二欄七行)(番号は便宜上付したもの)(この記載には本件発明固有の作用効果とはいえない事項が含まれていることはのちに指摘するとおりである。)。
2 取消事由1について
(一) 成立に争いのない甲第三号証(特公昭四二―一〇一九四号特許公報)によれば、第一引用例は、鍵と連動するスイツチ(鍵スイツチ)を用いて音量を打鍵速度に応じて制御するようにした鍵盤式電気楽器の音量制御装置に係るものであるが、第一引用例記載の発明は、この種の音量制御装置においては、従来鍵の動作と連動する可動接点を設け、鍵の押圧時、すなわち、可動接点が放電用接触片に接している時間内でコンデンサに充電した電荷を放電させ、最後の固定接点に達したときにその残留電荷を検出して打鍵速度に応じた音量制御を行つていたが、摺動接触部分を有するため接触不良を生じる等の欠点があつたので、これらの欠点を除去すべく簡単な構造のスイツチを用いて動作の確実な、しかも鍵の押圧動作の円滑な音量制御を行うことができる装置の提供を目的として(一頁左欄一七行ないし下から一行)、特許請求の範囲に記載された構成、すなわち、「鍵の非押圧状態でRC時定数を構成するコンデンサに充電し、鍵の押圧状態で上記コンデンサへの充電を停止せしめるとともに、そのコンデンサに蓄積された電荷を一方向性素子を介して別の制御用コンデンサに移しかえるスイツチと、上記制御用コンデンサに移しかえられた電荷を鍵の押圧期間中ほぼ一定に保持し得る入力インピーダンスが大なる回路と、鍵の非押圧状態で上記制御用コンデンサに蓄積され保持されていた電荷を抵抗を介して放電せしめるスイツチとを備え、打鍵速度を上記制御用コンデンサに加えられる電圧の大小により検出して、この電圧で音階信号や音響信号などの電気信号の音量を制御する制御回路を打鍵速度に応じて制御するごとくした鍵盤式電気楽器の音量制御装置」(三頁右欄一四行ないし二五行および記1、2)とする構成を採用したものであることが認められる。そして、第一引用例記載の音量制御装置においては、実施例についての説明(二頁左欄二八行ないし四二行)および第2、3図からも明らかなように、鍵の押下げの速度が速いときには、可動接点が固定接点6から7へ切り換わるに要する時間が短くなり、コンデンサ13の電荷の放電量は少なく、コンデンサ24の充電電圧は高い状態に維持されることになり、トランジスタのエミツタ抵抗26の両端に生じる制御電圧Vcnは大きくなる(図中のa、a´点)。一方、鍵の押下げの速度が遅いときには可動接点が固定接点6から7へ切り換わるに要する時間が長くなり、コンデンサ13の放電量は多くなつて、その端子間電圧の降下は大きくなつてコンデンサ24の充電電圧は低い状態に維持されることになり、エミツタ抵抗26に生じる制御電圧Vcnは小さく、その出力信号は小さくなる(図中のb、b´)のである。このように、第一引用例記載の音量制御装置における制御電圧Vcnは、可動接点が固定接点6から7へ移行するのに要する時間、すなわち、鍵1の押鍵速度(押下げ速度)に応じて変化するものであることは明らかであるから、本件審決が、第一引用例に、前記のごとき音量制御装置において、「押鍵速度に対応する箇所のアナログ電圧を読み出す」ことが示されているとした認定には、何ら誤りはなく、原告のこの点の主張は採用の限りでない。
(二) 成立に争いのない甲第四号証(昭和四五年一二月一日誠文堂新光社発行・上村幹夫著「最新リレー活用技術」)によれば、第二引用例は、リレー活用に関する一般的な技術書であり、電磁リレー、マイクロスイツチその他各種の開閉装置の接点開閉時間を測定するための装置について解説したものであるが、その図7・1・32および図7・1・33などには、接点開閉時間測定装置の具体的な構成が図示され、一五二頁ないし一五六頁には、被告の主張(1(二))するような接点開閉時間装置の具体的な動作態様が詳細に説明されていることが認められる。なお、本件発明における「鍵スイツチ」は二つの固定接点の間で切換を行うものであるが、「鍵スイツチ」が第二引用例における「接点」の概念の中に当然含まれ、したがつて、本件発明の「押鍵速度」が第二引用例の「接点開閉速度」すなわち「接点開閉時間」に相当することは、両者を対比すれば明らかなところである。したがつて、第二引用例には、汎用性のあるものとして、接点等の開閉のタイミングによつて出力される所定の一つの信号とその次に出力される信号との時間間隔を測定するために、右接点の開閉に対応してクロツクパルス発生器からのクロツクパルスをカウンタによつて計数する具体的な構成が示されているというべきである。この点の原告の主張は採用の限りでない。
(三) 成立に争いのない甲第五号証(昭和四五年一一月三〇日(第六版)誠文堂新光社発行・「トランジスタ回路アイデア集」)によれば、その「トランジスタ・タイマー」の項の説明(一四〇頁ないし一四一頁)には、コンデンサの放電時定数を利用してタイマー動作を行わせるトランジスタ・タイマーの応用技術が記載されており、そこに記述されているタイマーは、取りも直さず、本件審決が認定したとおりコンデンサの放電時定数により決まる一定時間に応答するタイマーである。第三引用例の記載は、本件審決の説示から明らかなごとく、コンデンサの放電(あるいは充電)特性は時間―端子電圧関係を示すものと理解できることの根拠として引用されているのであるから、第三引用例に示されたタイマーの精度を問題にすべき意味はない。原告のこの点の主張は失当である。
(四) すでに認定したところから明らかなとおり、第一引用例に記載された音量制御装置における押鍵速度の計測技術は、アナログ処理によるものであるのに対し、本件発明においては、鍵スイツチが第1の固定接点から第2の固定接点に切り換わる間の時間計測をクロツクパルスの計数によつて行うものであるところ、クロツクパルスの計数による時間計測技術は、第二引用例に示されているところである。したがつて、本件発明に係る電子楽器の押鍵速度検出回路は、本件審決の指摘するように、結局、第一引用例記載のアナログ処理による押鍵速度検出手段の代わりに、第二引用例にみられるようなクロツクパルスの計数による接点移行時間計測手段を置き換えたものにすぎないものと認められる。この点について、原告は、第一引用例記載の押鍵速度検出手段は、直接時間計測を行つているものではない旨主張するが、電圧の大きさをみる(検出する)ことによつてその大きさに達するまでの時間を直接計測するものであるから(第三引用例のトランジスタ・タイマーも同様である。)、原告の主張は当たらない。
3 取消事由2について
(一) 本件発明と第一引用例記載の発明とは、二個の固定接点間を鍵スイツチが移行するのに要する時間に基づいて押鍵速度を検出しようとする基本的な構成においては共通しており、時間計測技術に違いがあるにすぎないことはすでに説示したとおりであるところ、第二引用例には、汎用的に活用できる技術事項として、前認定のとおり「接点の切換に対応してクロツクパルス発生器からのクロツクパルスをカウンタによつて計数する」手段が具体的に説明されているのであるから、第一引用例記載の音量制御装置のうちのアナログ処理による時間計測技術に代えてクロツクパルス計数手段を適用することは、電子楽器の技術分野に属する者にとつても格別困難なこととは認められない。
この点について、原告は、本件発明の出願当時においては、電子楽器技術者のデイジタル技術に対する関心が低く、第二引用例のようなデイジタル処理を内容とする文献には目を通すことは期待できず、また、第二引用例は、工業用の検査機器に関する内容であるから、異なる技術分野に属するものである旨主張する。しかしながら、前掲甲第三号証(第一引用例)、成立に争いのない甲第四四号証(昭和四一年一月一五日株式会社誠文堂新光社発行「電子楽器と電気楽器のすべて」)および乙第七号証(「無線と実験」一九六七年一二号)によると、「電子楽器」や「電気楽器」とは、楽器における本来の機械的ないし物理的手段の一部または全部に代えて、電子的手段を取り入れて、所定の機能を発揮させるように変更したものの総称であると理解されるから、これに従事する技術者は時間的計測手段を含め楽器の機能向上に関連する電子的技術に通じているものと認めることができる。しかして、右の電子的手段にはアナログ手段だけでなく、原告のいうデイジタル手段も含まれているものということができるところ、前掲甲第四号証、成立に争いのない乙第一号証(昭和四五年三月三〇日日刊工業新聞社発行「工業電子計測便覧」の三三頁)、乙第二号証(昭和四一年一一月三〇日株式会社オーム社書店発行「新版電気計測便覧」一一一五頁ないし一一一六頁)および乙第八号証(昭和四二年一一月三〇日日刊工業新聞社発行「パルス応用回路」五版七〇頁ないし七一頁)によれば、第二引用例にみられるような被測定時間の始めと終わりをクロツクパルスにより計測するデイジタルカウントによる時間計測手段は、特定の限られた用途のものではなく、広く電子機器に汎用され得る技術手段であることおよび可動接点の移行時間を計測する技術として、右デイジタルカウントを利用するもの(デイジタル手段)のほか、コンデンサの充放電を利用するもの(アナログ手段)があり、両者は相互に代替し得るものであることは本件発明の出願前において電子機器を扱う技術者の間で広く知られていたものと認めることができる。したがつて、電気楽器の電子的手段の設計に携わる者にとつて、第二引用例が異なる技術分野に属するものとはいえないし、関心の対象にならない技術事項であつたとは到底いえないのであり、アナログ処理で行われていた回路もしくは手段をデイジタル処理による回路もしくは手段に設計変更しようとする試みは、電子楽器や電気楽器の電子的手段の設計に携わる技術者においても、考慮の内にあつたものと推認され、デイジタル手段による改善を内容とする特許出願が少なかつたということによつて、右の推認が左右されるものではない。成立に争いのない第九ないし第一四号証、第一六ないし第二三号証も原告の主張を裏付けるものではなく、他に、以上の認定をくつがえすに足りる証拠はない。また、第二引用例のデイジタル技術を電子楽器に転用した場合に、楽器に種々の改良、工夫を要するとしても、それは新技術導入に伴い、多くの場合設計的事項として常に生じ得る事項であり、むしろ、改良、工夫が可能であることを前提として考えられた技術の転用というべきであるから、改良、工夫の必要性を理由に、転用の容易性を否定することは相当でない。
本件審決が、相違点の判断において、「第二引用例に示されたようなデイジタル処理による時間計測技術として当業者に広く知られている」としたのも、更に、「『技術分野』や『当業者』に関する主張について、本件発明の進歩性について前述したように判断される以上、更にこの点について特に論ずる必要を認めない。」としたのも、要するに、クロツクパルスの計数による時間計数手段が、一般に周知の計測技術手段であることから、電子楽器の技術者の間においても広く知られていたことを前提にして判断すると、本件発明の進歩性は認められないということを説示したものであることが明らかである。したがつて、本件審決が、進歩性判断の前提となる出願当時における技術水準について適切な認定判断をしていないとの原告の主張は当たらない。
4 取消事由3について
本件公報の「発明の詳細な説明」欄には、本件発明の奏する作用効果として、前記認定のとおり(1(三))<1>ないし<5>の事項が記載されているところ、<1>の「集積化が可能な簡単な構成で精度のよい押鍵速度検出回路が得られる」ことは、第一引用例におけるコンデンサの放電特性を利用したアナログ処理による時間計測技術に代えてデイジタル処理による時間計測手段を用いたことによる自明の効果であり、また、第一引用例記載の音量制御装置においても、本件発明と同様に押鍵速度検出回路を利用しているのであるから、<2>の事項をもつて本件発明の格別の効果とみることはできない。<3>「記憶波形のパターンを適宜設定することによつて出力電圧レベルをそのまま維持して利用することが可能で、電圧の利用率もよく、一方、きわめて遅い押鍵速度に対してもある所定の出力レベル信号をうるようにすることもできる」との事項は、本件発明の特許請求の範囲に規定されていないことの明らかな、「レベル波形記憶装置」および「エンベローブ波形記憶装置」の作用に基づく効果というべきであるから、本件発明に特有の効果とはいえないことである。また、<4>の「クロツクパルス発生器のクロツクパルス周波数は外部から可変できるように構成できるから、電子楽器の演奏中でも押鍵速度に対する出力信号の振幅の関係を可変できる」ことは、クロツクパルス発生器のクロツクパルス周波数を外部操作により楽音に適するように可変するための具体的構成が本件発明の特許請求の範囲に規定されていないし、「発明の詳細な説明」欄にも何ら記載されていないので、本件発明に固有の効果とみることはできない(クロツクパルス周波数の変更を通常の態様で行うのであれば、その効果は格別のものとはいえない。)。更に、<5>の事項は、第一引用例におけるコンデンサの放電特性を利用したアナログ処理による時間計測技術に代えてデイジタル処理による時間計測手段を用いたことによつて、当然に得られる効果であるから、格別のものではない。
このように、本件発明の奏する作用効果として本件公報に記載されている事項及びこれに関連して原告が主張する本件発明の「デイジタル化に伴う便益」は、いずれも第一引用例に記載された音量制御装置の構成のうち、そこに用いられているコンデンサの放電特性を利用したアナログ手段である時間計測手段に代えて、周知の技術であるクロツクパルスの計数によるデイジタル化された時間計測手段を適用したことから当然予想され得る範囲を超えるものではないか、特許請求の範囲に基づかない主張であるから、作用効果の点を勘案しても、クロツクパルスの計数による時間計測手段の置換適用は、当業者が容易に想到実施し得る程度のことというべきである。本件審決が作用効果を看過したため本件発明の進歩性を誤つて否定したものである旨の原告の主張は前提において誤りであり採用の限りでない。
4 右のとおり、本件発明は第一引用例ないし第三引用例記載の発明ないし技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとした本件審決の判断は、正当であつて、本件審決には、これを取り消すべき違法の点はない。
三 以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤つた違法があることを理由に、審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものとして、これを棄却することとする。
〔編注1〕本件発明の要旨は左のとおりである。
第1および第2の固定接点を有し鍵に連動して動作する切換形の鍵スイツチと、クロツクパルス発生器と、クロツクパルスを計数する計数器と、鍵操作に伴ない前記鍵スイツチが該第1の固定接点から該第2の固定接点に切換わる間前記計数器が前記クロツクパルス発生器からのクロツクパルスを計数するよう制御する制御回路とを備え、前記計数器から押鍵速度に対応した計数値出力を得るようにした電子楽器の押鍵速度検出回路(図面(一)参照)
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである
図面(一)
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図面(二)
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